日々の読書日記

読書の忘備録です

113回目「ヴィーガンズ・ハム」( ファブリス・エブエ監督)

以下の粗筋は、ウィキペディアからの抜粋。

「ソフィアとヴァンサン夫妻は肉屋を営んでいるが、経営が思わしくない。2人の結婚生活もうまくいっておらず、友人で商売敵でもあるステファニーとマルク夫妻の嫌味な言動にも苦しめられている。

そんなある日、過激派のヴィーガンらによって店を荒らされる。後日、実行犯のうちの1人を誤って轢き殺してしまい、死体を処理するため遺体を解体し”イラン豚”として店で売ったところ町で評判となる」

ウィキペディアに紹介されている粗筋はここまでなので、もう少し続きを説明すると、

人肉販売で、店が繁盛した事に味をしめた夫婦は、街に繰りだして次々とヴィーガンを殺害し、人肉を売り続ける。やがて……。

という内容の映画。

このプロットからも分かるように、安易かつ悪趣味かつ不謹慎な映画だが、不思議と不快感はなく、ブラックユーモアに思わず笑ってしまう場面もチラホラある。あるいは、笑いと皮肉のオブラートに包まれていて分かりにくいが、映画の主張しようとしている所は割と深くて考えさせられる。

大岡昇平の『野火』や武田泰淳の『ひかりごけ』などの作品に見られるように、カニバリズムを扱った作品は、人が人の肉を食うに至る原因が、戦争や飢饉、閉鎖された空間での極限状態などに依るところが多く、それが故にシリアスで仄暗いトーンの作品が多い。またカニバリズムという題材は、文学性を比較的、容易に担保できる。そのための道具として使われることも多い。ずっと、秘密にしておき、最後に「あなたが食べたのは人間の肉でした」と種明かし的に使う事によって、少なからずの衝撃を読者や観客に与えられる。カニバリズムに限らず、禁忌に触れる行為というのは、文学的な匂いを内包している。(表現者がそれを安易に使用することの是非は、ここでは問わない)

しかし、この『ヴィーガンズ・ハム』は、上記のカニバリズムを扱った作品群とは対極にある。笑いとブラックユーモアに振り切っているから、一周回って気品がある。「下品な気品」とも言えるかもしれない。この「気品」は、真っ当な文学作品・文芸映画には出せない気品だ。

TVでよく見る、サバンナで野生の肉食動物が草食動物を襲う映像と、夫婦がヴィーガンを襲撃する場面をシンクロさせるシーンなど、ブラックなのでけど、なかなかスタイリッシュでかっこいい。

ただ、国際社会の問題や時事ネタを暗喩的に盛り込んでる場面もあるが、例えば、イスラエルパレスチナの問題や、イラン・イラクの問題など、この映画の半ば揶揄するようなノリで扱っていいのか、そこは流石にふざけすぎではないのか、とも思った。もちろん、固有名を出して言及しているわけではなく、あくまで暗喩として描かれているだけだけれども。

余談だが、この映画を観た後に『関心領域』という映画を映画館で観た。当たり前だが、両者は全然違う映画だが、実は、自分の中で両者に共通するところがあり、それを次回のブログ辺りで上手く言語化できればいいなぁ、と思っている次第。