日々の読書日記

読書の忘備録です

121回目「宇治拾遺物語」(町田康訳 :河出文庫)

先日、ヨーロッパ企画という劇団の『来てけつかるべき新世界』という芝居を観た。

まあ面白く、何度も笑った。AIとロボットが大阪新世界に住む庶民の暮らしを席捲する近未来の話。基本的には、吉本新喜劇のようなドタバタコメディを基調としていて、バカバカしく下らない笑いが、随所に散りばめられていて、ベタであるが故に安心して笑える、、、、のだが、やがて、とてつもなく高度な事をさらりとやってのける技術に気付き、恐怖さえ覚えた。

同時に、これだけすごい事をやっているのに、観客はただ「笑う」だけで全てを享受しているのも、なんだか怖くなった。いや、客は笑いに来てるので笑うだけでいいのだけれど。。。

『来てけつかるべき新世界』と町田康が訳した『宇治拾遺物語』は似ている。どちらもバカバカしい笑いが基調になっているという共通点があるので似ている、というわけではなく、人物が似ている。

どちらの作品も、描かれている人間はとても滑稽で謂わば、アホである。これは、とても貴重な発見で、一方は近未来、もう一方は鎌倉時代に編纂された物語であり、800年以上の開きがあるのに、この人間の進歩の無さはなんであろうか。

そもそも、人類というものは崇高な存在でもなんでもなく、本質的にも外形的にもアホなのであり、それは昔も今も未来も変わらない、という発見であり、これは貴重であった。

また、両者とも、とてもふざけた事をとても真面目にやっている。

この『宇治拾遺物語』には、横文字、喋り言葉が氾濫している。

「マネージャー」「スタッフ」「ダウンジャケット」「チーフ」「各種カード類」「マジっすか」「クッション」「ペテン師」

など、およそ古典の訳文らしくない言葉が頻出する。そこには作者の確固たる意志すら感じる。にも関わらず、古典の空気、その時代の庶民の生活臭はきちんと嗅ぎ取れる。

古典的言い回しと現代のカジュアルすぎる言葉の混ぜ具合が絶妙なのである。

自殺者の数が増えているらしい。なんらかの事情で悩んでいる人は、是非、これを読んで欲しい。悩んでいる事すら馬鹿らしくなると思う。時にくすっと、時にゲラゲラ、笑うことによって、救われることもある。