物心が付いた時から今までの人生の中で、悩みが無かった時期はない。常に、何かに対して悩んでいる。「悩みの無い人生というのはつまらない」という人がいる。その言葉の意味は、悩みを乗り越える事によって人は成長する、という事なのだろう。それは、その通りだと思う。「悩みのない人生」というのは想像すると確かにつまらない気がする。でも、悩みのど真ん中に身を置いている間は、たとえそれが傍から見ると非常に些細な悩みであっても、成長なんてしなくていいから早く悩みから解放されたいと思ってしまう。自分の力で悩みを乗り越えようという気力すら起こらない。結果、些細な悩みに対しては、自分が努力して乗り越えるまでもなく、気が付いたら時間が勝手に解決してしまっている。その些細な悩みが終った次には別の些細な悩みが現れる。それの繰り返しで今まで来ている。その間、こちらは悩みを乗り越える為のいかなる努力もしていないので、人間的な成長はゼロである。「悩みを乗り越える為の努力ができない」というのも、また一つの悩みだ。
だから、自分は常に満たされない。何かと人と比べてしまう。そして常に自分は他人に対して劣っているように感じる。溜息が尽きない。焦燥に駆られる。今現在、自分はその些細な悩みを抱えている。しかも今回の悩みは、時間が解決してくれるには文字通り少し長い時間が掛りそうだ。
そんな厄介な時期に読んだのが堀江敏幸の『雪沼とその周辺』である。なんだろう、この今の自分にぴったりの精神安定剤のような小説は。7つの短編が収録されている。いずれも独立した短編だが、各々の作品がどこかで微かにリンクしている。注意深く読まなければ見逃してしまうような微かさだ。そして、注意深く読むことを強制したりもしない。気付く人は気付けばいいし、気付かなくても別によい。そんな感じの微かさだ。この控え目な感じが、まず優しい。差し出がましい優しさではなく、自然に自分の隣に座っていてくれる。そんな優しさだ。
精神安定剤のような小説と書いたが、『雪沼とその周辺』を読んだからといって、今の自分の悩みが綺麗に解決するなんて事はない。明日を生きる活力を与えてくれるようなパワフルなものでもない。この短編集には、そんな劇薬のような力はない。逆に「等身大でいいじゃん」とか「人間は弱くて当たり前」といった言葉で悩みを肯定してくれるような作品でもない。強いて言えば「そんな生き方もあるよね」と教えてくれるような小説だ。肯定も否定もせず、ただ空気のように漂っている。悩みに対して「達観」という程でもなく、「追認」するような恩着せがましい優しさでもなく、「応援」のような暑苦しさでもない。そんな控え目で微かな気配を感じさせてくれる小説である。
収録されている作品の中では特に『送り火』と『ピラニア』が好きだ。特に『ピラニア』の人一倍、不器用だが、変なプライドを持たず、闘争心や出世欲とは無縁の、いわば究極の自然体とでも言えるような主人公が、奥さんと出会い結婚し、細やかな生活を淡々と送っている様子が良かった。大きな幸せではなく、細やかな幸せを、内容と同じく控え目な文体で描かれており、少し身につまされた。今現在、悩んでいる人にとって、少しだけ心の支えになってくれる小説ではないだろうか。