日々の読書日記

読書の忘備録です

33回目 旅の記録:インド編⑥

ジョードプル

ジャイプルの次は、ジョードプルに行くことにした。ジャイプルのやや西側にあり、デリーからジャイプルに来た人は、そのまま流れでジョードプルに行く人が多い。

自分も、その行動原理に則ったのだ。

ジャイプルがピンクシティーと言われているのに対して、ジョードプルはブルーシティと言われている。

 

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確かに、青い。

「ブルー・シティ」という呼び名も納得できる。

しかし、頭がめちゃくちゃ痛い。悪寒がする。風邪の辛さではない。ちょっとまじでヤバイと思った。「マラリア」「コレラ」「腸チフス」という、恐ろしい単語が浮かんだ。恐らく熱が40度はある。

ジョードプルの駅に着くと、案の定、オートリキシャのおっさんが色々話しかけてきたが、煙に巻く気力も、値段交渉をする気力も起こらなかった。

どこでも良いから、静かな部屋で療養したかった。

だから一言「静かなゲストハウスまで、連れて行ってくれ」とオートリキシャのおっさんに伝えた。

これまでのインド旅で、やたらと話しかけてくるリキシャの男=悪い奴、という方程式が自分の中で出来上がっていた。なので、このおっさんもどうせ「病弱の俺から、法外な金をぼったくる気だろう」と思っていた。別によい。多少の金銭被害は覚悟している。そんな事より、早く休みたい。

あれ、そういえば乗る時に値段交渉をしなかったな。。。きっと、降りるときにふっかけてくるだろうな。。。

10分程走ると、ゲストハウスに到着した。

リキシャのおっさんが、自分の重たいスーツケースを中まで運んでくれた。こんなことは、初めてだった。フロントの人に部屋があるかを尋ねないといけない。と、思っていたら、リキシャのおっさんが、フロントと現地の言葉で交渉してくれている。

多分、「こいつ、かなり体調が悪いからできるだけ静かで安い個室を用意してやれ」とでも言ってる感じがする。そんな様子を、朦朧とした意識の中で見つめていた。

「こっちに来て、この紙に名前を書け」と言われた。その通りにした。フロントの人に部屋代を払い、部屋の鍵を受け取った。

リキシャのおっさんに「テッケア(take care)」と言われた。「サンキュー」と言ってから、気が付いた。まだ、おっさんに料金を払っていない。「How mach should I pay ?」と聞くと、おっさんは、「忘れていた」と笑って、ごくごく妥当な値段を言った。

自分は、誤解していた。

「話しかけてくるインド人は悪い奴」

これは基本的には正しくて、インド旅に於いては警戒し過ぎるくらいがちょうどよいのも事実だ。

ただ、例外もある。このリキシャのおっちゃんも、俺が通常の状態なら、きっと料金を多めにふっかけてきたかもしれない。

しかし、体調が悪く困り果てている人間を目の前にすると、自分の利益を考えずに献身的になってくれる。そこは日本人よりも親切かもしれない。

「人による」と言ってしまえばそれまでだが、取り敢えず、自分がインド人に対して偏見を持っていたことを恥ずかしく思ったのだった。

個室に入り、シャワーで汗を洗い流し、スウェットに着替えて、すぐにベッドに横になった。何度も魘されて目が覚めた。相変わらず、頭痛が酷いし熱も下がらない。

もしマラリアコレラだったら、最悪死ぬかもしれない。ちゃんとした病院に行って検査した方がよい。保険は適用されるのだろうか。てゆーか、海外旅行保険なんて馬鹿らしくて入っていなかった。入っときゃよかった。後の祭り。日本に帰国できるのだろうか。あまり人と接触しないほうがよい。

など、とりとめもなく考えながら、翌日まで眠った。

翌朝は、かなり体調が戻っていた。熱は引いている。下痢は相変わらずだが、街歩きに出掛けるくらいの元気は回復している。

もしマラリアコレラだったら、こんなにすぐに回復はしないだろう。指定感染症などではないだろう。と、自身で結論付けた。

※一応、日本に帰国後ちゃんとした病院で診てもらったので大丈夫です。下痢は帰国後も暫く続いたけれど、抗生物質を飲んで完治しました。

 

ジョードプルは、リキシャのおっちゃんに始まり、出会う人が皆、優しかった。ゲストハウスは家族で経営されており、中学生くらいの長男が人懐っこく、姉のことが大好きで、しきりに「自分たちの写真を撮って」と言ってくる。

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このゲストハウスに数日泊まることにした。

観光はあまりせず、街をブラブラ歩いたり、有名なオムレツ屋で食事したりした。

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翌日は、ホーリーというインド全土で行われる大規模な祭りがあるらしかった。

町中で、色玉を誰彼かまわず投げまくるという、なかなかクレイジーな祭りで、興味はあったが病み上がりなので参加はせず、部屋の窓から様子だけ見ることにした。

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ホーリーの最中は、こんなカラフルな人間が闊歩している。特殊な粉らしく、衣服に付着すれば、普通に洗濯しても取れないらしい。

参加せずによかった。。

総括

6回に渡って、当時のインドの旅を記憶を探りながら書いてきたけど、いかがでしたでしょうか。約一か月で、デリー、アーグラー、ヴァラナシ、ジャイプルジョードプルと5つの街を周りました。旅慣れてる人からすれば、正直物足りないかもしれません。

一か月もあれば、もっと色々な街を周れたかもしれないし、血沸き肉躍るような冒険譚が書けたかもしれません。

当時の自分は、初めての長期旅行ということもあり、インドという国にビビッていました。結局、病気を恐れてガンジス河では泳がなかったし、その他にも、やろうとして結局やらなかったことが沢山ありました。一歩踏み出す前に、躊躇してしまったのです。

今の自分だったらもう少し、インドと上手く付き合えていたかもしれないと思います。でも、当時はこれが精一杯でした。

その精一杯の感じが、文章で表現できていれば幸いです。

今はコロナ禍で海外にいつ行けるか分かりません。こんなことになろうとは、夢にも思っていませんでした。

早くコロナが終息し、また旅に出れる日を祈りつつ。

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