日々の読書日記

読書の忘備録です

15回目「きょうの猫村さん・カーサの猫村さん」(ほしよりこ:マガジンハウス)

 自分は、猫が好きだ。しかし「猫が好き」と公言している人は、あまり好きではない。「猫が嫌いな人」よりは、「猫が好き」な人の方が幾分、マシではある。でも、昨今の猫ブームに乗って猫好きアピールをしている人を見るのは、なかなか辛いものがある。猫に限らず、動物好きをアピールしている人全般に思うことだが「それ、本当に好きなの?」と言いたくなるのだ。猫にしても、犬にしても、血統書付きの見た目が良い動物をペットショップで購入し、可愛い服を着せたり、トリミングをしたり、写真をSNSに上げたりしているのを見ると、動物本来の可愛さよりも、その飼い主の、動物をファッション感覚で所有している傲慢さ、或いは、「動物を愛している私って良い人でしょ?」と思われたい下心、そのようなイヤな人間性を感じてしまうのだ。我ながら、捻くれているなと思う。しかし、そう感じてしまうのは仕方がない。
本当に犬や猫が好きで、経済的に余裕があるのならば、栄養不良と皮膚病で、見た目が決して可愛いとは言えない、どちらかといえば小汚い野良猫や野良犬にも、同様の愛情を注いでやって欲しい。そんな決して見た目が綺麗ではない動物たちを見て「可愛い」と思える心を持っている人こそ、真の動物好きだと思う。
だから、例えば、本当に動物のためを思い自費で殺処分ゼロの活動に取り組んでいる人達や、経済的な余裕がなくて飼うことはできないけれど、公園にいる野良猫を放っておけなくて、条例的に禁止されている事を承知で、餌を与えているオバチャンなどには、とても共感できるし、親近感も抱くし、こんな人達こそ、これまた、真の動物好きなのだと思う。本来、人間と動物の間には主従関係も上下関係もないのだ。真の動物好きは、その事がよく分かっている。
で、ほしよりこさんの漫画「きょうの猫村さん」と、そのスピンオフ作品でカーサ・ブルータスに連載されている「カーサの猫村さん」だ。
どちらも鉛筆で手書きされた非常にラフな漫画だ。ラフなのだけど、ラフゆえの底はかとない愛情を感じる。動物漫画にありがちな押しつけがましさが、猫村さんにはない。いい具合に突き放してくれる。全体的にほのぼのとしたトーンで描かれているのに、思わず笑ってしまうハイセンスなギャグもあり、油断できない。で、思わず笑ってしまうようなギャグに出会って、文字通り笑っていると、不覚にも感動させられる瞬間がある。そして、そんな感動の瞬間が、一つだけでなく、いたるところに、散りばめられている。そんな漫画なのに、途中で出会う「笑い」や「感動」は作者が読者に強制させるものではなく、あくまで自然に差し出されたものを、自然に受け取っている感じなのだ。
こんな漫画を描くほしよりこさんは、きっと、前述した真の意味での動物好きなのだと思う。いや、動物だけではなくて、人間を含めた命ある全てのものが、きっとほしよりこさんは好きなのだろう。作品の根底には優しさと愛情が流れているし、自分のような捻くれた人間でも、ほしよりこさんの漫画を読むと心が浄化されるのが分かる。
この漫画を読んで、個人的に感じたことをいくつか書く。
まず、登場人物たちのネーミングセンスがいい。若杉利子とか、森コリスとか、スケ子とか、助湖(スケ子が営む小料理屋)とか、戸備オチルとか、打才治(ダサイオサム)とか、ピンクマスタード(ピンク・フロイドのパロディだろうか?)とか、キラっとしたセンスが光っている。
猫の家政婦という設定、あるいは、猫が普通に人語を喋り、人と交流しているという設定がカフカの「変身」に通じる文学性を感じる。
きょうの猫村さん」の5巻の60ページあたり、ぼっちゃんと落語ごっこをする猫村さんが、めちゃくちゃ可愛くて、面白くて、愛おしい。
「カーサの猫村さん」で編集長さんが、産まれたばかりの自分の赤ん坊を猫村さんに預ける場面。とても好きな漫画なのだけど、このシーンだけ、少し違和感があった。いくらなんでも、0歳の赤ちゃんを河原にいる猫に預けてどっかに行くのは、ちょっと抵抗があった。
以上。

きょうの猫村さん 1-9巻セット(マガジンハウス)