日々の読書日記

読書の忘備録です

62回目「見知らぬ乗客」(アレフレッド・ヒッチコック監督)

ヒッチコックの代表作の一つ。ヒッチコックのファンからも比較的人気が高い作品ではないだろうか。

性悪な妻と離婚して、政治家の娘と結婚したいと常々思っていたテニス選手(ガイ)が、列車の中で偶然出会ったブルーノと名乗る怪しい男に交換殺人を持ちかけられる。ブルーノはガイに「俺が君の妻を殺してやるから、君は俺の父親を殺して欲しい」と提案する。ガイは冗談だと思い適当にあしらうが、ブルーノは本当にガイの妻を殺してしまう。そして「約束通り君の妻を殺してやったから、次は君が俺の父親を殺せ」と取引を持ちかけ、「君も共犯者だ」と強請る。平たく言えば、そんな話だ。

もし同じ設定で脚本を書くとすれば、多くの人は、ガイにもブルーノの父親を殺させるだろう。二つの殺人を絡めて、トリックなどもアレコレ考え、話を複雑にしようとする。自分もきっと、そのような展開に持って行くと思う。そっちの方が「なんとなく面白そう」だと錯覚してしまう。

ヒッチコックは、そんなありきたりな展開にせず、ブルーノにガイの妻を殺害させた後は、ひたすらブルーノのサイコパス的な気味悪さに焦点を充てて、サスペンスを紡いでいく。色んな所に手を出そうとしないから、脚本が締まる。こういうところがヒッチコックの稀有な才能なのだろう。「見せ方」がとても巧いのだ。

シンプルな展開で無駄がないから、それぞれのキャラクターが光る。冒頭のブルーノの芸能リポーター並みにグイグイ迫ってくる感じは本当に鬱陶しい。妻を殺害した中盤以降も、抑制の利かなくなった人間の狂気をとても上手く表している。「何をしでかすか分からない男」の恐さを充分醸し出しており、悪役として申し分ない。一つ、とても印象的なシーンがある。遊園地のような場所で妻を尾行するシーン。途中で通りすがりの子供が、ブルーノに子供らしいちょっかいを掛けるのだが、ブルーノは顔色一つ変えず、子供の持っていた風船を煙草の火で割る。子供に対してのとても冷酷な仕打ちを無表情で成し遂げる。ストーリーとは全く関係のないシーンだが、こういったシーンを入れる事によって、ブルーノのサイコパス的な怖さを際立たせるのだ。

ガイの人物造形もよかった。常識人でありブルーノの提案に乗らなかったことでヒーローとしてのガイの魅力も増す。だから、終盤のメリーゴーラウンドでの戦闘シーンも格好良かった。純粋なヒーローとしての格好良さがあった。ガイを格好良く見せる為に、殺された妻を誰が見ても嫌な女に仕立て上げ、対照的に愛人の女性は凛とした美しさとチャーミングさを併せ持つ人物に設定したのもよかった。或いは寧ろ逆で、妻と愛人の人物造形が、典型的だからこそ、ガイが物語のヒーローとして格好良く映ったのかもしれない。

殺された妻に顔が似ている、愛人の妹もイモっぽさがよかった。

要するに、悪役もヒーローもヒロインも、それぞれキャラが立っていたのだ。サスペンスとかミステリーは、脚本は勿論重要だが、脚本を凝り過ぎると映画としての見どころが薄れてしまう。逆に脚本がシンプルでも、キャラクターの人物造形がしっかりしており、それらを際立たせる演出が冴えわたっていれば、サスペンスとしても一級品となる。

よくよく考えると『見知らぬ男』はブルーノがガイの妻を殺したことを、ガイが最初に警察に言っていれば話が終ってしまうのだが、そのような重箱の隅をつつくのは野暮だろう。実は、ヒッチコックの映画ってこういうアラが結構あって、例えば『裏窓』なんて映画も、向かいの建物の作りが都合が良すぎるだろうとか、色々突っ込みたくはなるのだが、そのような指摘は、映画を見終わった後に気付くのであって、鑑賞中は映画の世界に入り込んでしまい、不思議と気にならない。要するに、見せ方が巧いのである。

今さら自分如きがヒッチコックの映画に対して「見せ方が巧い」なんて言ったところで、ヒッチコックからしてみたら「はぁ? 誰やねん、お前?」と思われそうだが、取り敢えず見た感想ということで。。。