今年は庄野潤三の生誕百年であり、よく行く書店では特集が組まれていた。書店の片隅に「庄野潤三生誕100年」と書かれたPOPが飾られてあり、そこに庄野潤三の幾つかの本が平積みされていた。別に大層なものではないが、興味を引いた。それで一番目立った置き方をされていたこの文庫を購入してさっそく読んだわけである。
表題作含め、7つの短編が収録されている。以下に個別の感想を記す。
①舞踏
不倫の話。夫の方が不倫する。不倫相手は、自分より一回りも年下の少女。夫の身勝手さが腹立たしい。同時に妻の健気さがやるせない。内容は、昨今の芸能人の不倫スキャンダルと殆ど変わらない。恐ろしく通俗的だ。妻が行きたがっていたコンサートに不倫相手と行くことになり、多少の後ろめたさを感じながらも、自分自身に言い訳しながら納得する様子など、夫の描写が「バカな男」そのものである。とてもベタな描き方だ。「文学は人間を描く事」とすれば、この短編は文学ではない・・・、というわけでも実はない。ここに描かれる人物は夫婦ともに古いタイプの人間で、それは作者自身が古いタイプの人間だから、描く人間が古くなるのだ、と結論付けようとしたが、案外、そんな読み方をする自分が古いのかもしれない。「文学は人間を描く事」という考えがそもそも固定観念であり、頭でっかちなのかもしれない。もっと気楽に読めば、ろくでなしの夫にムカつき、健気な妻に同情し、総じて楽しく賑やかな読書体験ができる。
②プールサイド小景
表題作であり、作者はこの短編で芥川賞と獲った。これも『舞踏』と同じく夫婦が描かれる。会社の金を着服しバーに通っていた夫。会社にばれて夫はクビになった。仕事が無くなったため、リフレッシュも兼ねて子供たちが通う学校のプールで泳いでいる。プールサイドからは、夫がかつて通勤していた電車が走る光景が眺められる。タイトルはここから来ている。ラストの描写は哀愁が漂っていて少し寂しい。情けなくだらしない夫と、そんな夫を支える健気な妻は、『舞踏』の夫婦と似ているが『プールサイド小景』は、もう少し夫婦の感情の機微が繊細に描かれている。バーの話を聞こうとする妻に対して、全てをさらけ出し告白するフリをしながら、絶対に話の確信に触れない夫の卑小さと、その卑小さの奥に女の影を察知し戸惑う妻。夫婦両方の心理がとてもキメ細かく書かれており面白かった。
③相客
人物の関係が少しゴチャゴチャしており、若干分かりづらかった。「私」「兄」「長兄」「弟」「父」が出てくる。その中の「兄」にまつわる話なのだが、「兄」と「長兄」が紛らわしかった。これは、自分の読解力の問題だ。冒頭のエピソードは「私」が「弟」から聞いた話であり、本編とは関係ないのだが、その後、その話から「私」が思い出したエピソードが語られ、二つの伝聞が終った後に「兄」の話になる。つまり、分かりにくかった。内容は割愛するが、汽車の中での刑事と客のやりとりで刑事が言った言葉に対して「私」が感じた戦慄が印象に残っている。なんのこっちゃ。
④五人の男
タイトルの通り、5人の男の話である。この5人の男が実在の人物なのかフィクションなのかは分からない。一応、作者が関わり合いを持った男たちという体で書かれている。それぞれの話が独立しており、5人の男がどこかで関連しているという訳でもない。本当に、5人の男のそれぞれの人物紹介で終っている。3人目の男が一番面白かった。お喋り好きの男で、家にやって来ては色々な武勇伝を語るのだが斜視のため周りで男の話を聞いている人は、自分に向けられて話しているのか分からず相槌を打つのが難しい、みたいな部分が少し毒もあり面白かったのだ。
⑤イタリア風
日本人の夫婦が、アメリカ旅行中に、かつて電車の中で知り合い友達になったイタリア人夫婦に久しぶりに会いに行くという話。日本と外国の家族観や価値観などが語られているが、人と人が久しぶりに邂逅する際のイザコザや誤解、変な気を遣ってしまう感じが共感できる。自分は別に対人恐怖症ではないのだが、外国人・日本人・異性・同性、関係なく「久しぶりに会う」という事に対してとても緊張する。いくら気心の知れた仲の良い人でも、何か緊張してしまうのだ。こんな自分だからか、電話口の相手の口調を過剰に気にしてしまう主人公に共感を覚えたのであった。
⑥蟹
一風変わった漁師町の宿屋。何が変わっているのかというと、部屋に「セザンヌ」とか「ルノワール」といった画家の名前が付いている。そこに泊まる数組の家族の話。歌とかクイズとか生き物を通じて、別々の家族に薄く微かな交流が生まれる。大人たちの交流は常識があり遠慮があり距離がある。でも子供たちの交流は、遠慮も距離もない。とても純粋で無垢な交流だ。とても平和で控え目な短編で、収録作品の中では一番好きだった。
⑦静物
作者と自分は祖父と孫くらいの年齢差がある。でも、この作品で描かれる家族の一コマは、まるで自分の子供時代の断片が書かれているかのように錯覚した。ある家族の、本当に何でもない風景が切り取られて繋がっているだけの短編なのだが、この懐かしさはなんだろう。優しさと懐かしさと寂しさとノスタルジーを同時に味わいながら、後味のさっぱりした読後感があった。
以上