日々の読書日記

読書の忘備録です

36回目「ルルドの泉で」(ジェシカ・ハウスナー監督)

自分はこの映画を2回観た。別に気に入ったから2回観たわけではない。一度観て、ブログを書こうと思ったが、色々諸事情があって、ブログを書く時間がなかった。時間が経つと、記憶が薄らぎ抽象的な感想しか出てこないので、昨日の夜中に2度目の鑑賞をしたのである。

一度目を観た後の感想は、退屈、という感想だった。ゆえに、数日経つと殆ど記憶が薄らいでいた。

内容は、不治の病で車イスを使っている女性が、聖地巡礼のツアーに参加し、立って歩けるようになる。というもの。DVDのパッケージに紹介されていた内容は、女性が奇跡的に歩けるようになった後、他の人々の嫉妬や羨望を買うサスペンス、というものだった。

自分は、その紹介文を先に読んでいた為、女性が歩けるようになった後の、サスペンス部分を楽しみにしていた。しかし映画の後半、サスペンス色は皆無だった。ゆえに肩透かしを食らったのだ。あらすじの紹介に「サスペンス」と記すのは詐欺ではないだろうか。と、制作会社にひとつ、苦言を呈しておきたい。自分がここで不満を書いたところで、どうなるわけでもないが、もしこれから観ようと思っている人がいれば、多少の参考にはなるかなと思いつつ。

ただ、サスペンス色は皆無であるが、悪い映画ではなかった。「サスペンス」を期待したのは、自分の情報不足と早とちり、そして制作会社の責任であり、映画自体に罪はない。

どうしても前半が長く感じる。施設内での食事、就寝、介護、屋外での巡礼、といった基本的にあまり変わり映えのしないシーンが、淡々と繰り返される。見終わって最初に「退屈」と感じた要因の一つだ。

良いなと思った部分も幾つかある。

それは、主人公の女性を含む、奇跡を期待して巡礼に参加した人たち、或いは、介護者や聖職者たちの、人間らしさにある。この映画に登場する人たちは、皆、驚くほどみみっちい。宗教をテーマにした映画なので、常人には理解できない崇高な考えを持った人たちが沢山出てくるのかと思いきや、全然、そんなことはない。寧ろ、俗人の思想・思考を持った人たちばかりだ。

例えば、主人公の女性。懺悔室のような場所で「なぜ神は自分の足を歩けなくしたのか」「なぜ他の人じゃないのか」「私ばかりが・・・」といった類の不満を漏らす。それに対する神父も「全ての健常者が君より幸せなわけではない」とか「人それぞれだ」といった、まるで開き直りのような解答をする。

恐らく自分が女性の立場なら、「神」と呼ばれる存在に同様の不満を漏らすだろうし、神父の立場でも、内心、「めんどくせぇ」などと思いながら、その場を取り繕う為に同様の、当たり障りのない事を言うだろう。

他の巡礼者たちも、「あの子の方が真面目に神に仕えているのに、なぜあの子ではなく、彼女に奇跡が起こったの?」とか「事故のせいで、婚約者と別れた」とか、もっとストレートに「神様、歩けるようにして」と願う人などもいる。要するに、皆、どこか未熟な思想を持った人間で、聖職者とされる神父ですら、人生を達観しておらず、多くの人間と同じ通俗的な人たちで、そこにリアリティがあり、かつ好感が持てたのだった。

というような感想を薄っすらと残しつつ、2回目を観たのだが、一度目の鑑賞時には気付かなかった、丁寧な演出に、少し唸った。何気ないシーンでも、よく見るとフリーズした主人公がヨダレを垂らしてたり、細部のこだわりが、中々のものだった。

ラスト。ダンスのシーンで、好意を寄せる男性と踊っていると途中で倒れてしまい、そのままゆっくりと車イスに座るところで映画が終る。ステージ上で男女がデュエットする場面から、音楽をそのまま引き継いでエンドロールに流れるところが、結構好きだった。

立てるようになった彼女が、再び車イスに座るシーンは、何かのメタファーなのだろうか。

以上。

 

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